フリースペースいっぽいっぽの活動
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フリースペースの開放(年齢制限はありません・月〜金 10:00〜17:00・土、日、祝日、年末年始、お盆はお休みです。)。
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ひきこもり・不登校・中退・ニートなどに関わる相談(→個別相談)に応じています。
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ひきこもり・不登校・中退・ニートを考える親の会(→親の会)の実施(月1回・第1土曜日)
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会報「いっぽいっぽ」を毎月発行しています(→会報「いっぽいっぽ」)。
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「私のフリースペース」
− 会報「いっぽいっぽ」1号より −
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この文章は、2001年5月、フリースペースいっぽいっぽの活動を始めるにあたって、この活動に対する私(代表 橋)の考えや思いをまとめたものです。
書いてから、もう7年も経っていて(2008年5月現在)、用語等多少古くさい感じがしますが、基本的な考えや思いは変わっていません。
先日ある利用者の人が、フリースペースの本棚にある、会報のバックナンバーのファイルから見つけて読んで、「涙が出た」言ってくれたので、ちょっと恥ずかしい気もしますが、原文のままここに載せてみようと思いました。ご参考までに。
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私のフリースペース
橋
俊也
今回、フリースペースをオープンするにあたって、フリースペースやこの活動に対する、私の考えをまとめてみました。
○ フリースペースは「たまり場」。−社会のオアシスに。
私が、フリースペースという場所を思い浮かべるとき、いつもイメージするのが、「たまり場」なんです。いつ行っても、誰か知ってる人がいて、しゃべったりしてるうちに、「ああ、自分はここの一員なんだなあ」「人間ていいよなあ」と、ほんわかした気持ちにさせてくれるところ。特に目的はないのだけれど、何となく行ってしまう場所。
もちろん、家庭が一番の居場所だというのが理想です。でも、家庭の他にも、ちょっと前でいう、お母さんたちの「井戸端会議」のような「たまり場」も必要だと思うのです。
ですから、このフリースペースは、子どもや青年だけではなく、大人の方にも、たとえば、お母さんの集まり、お父さんの集まりというように、様々な人たちの「たまり場」にもなって欲しいというのが、私の願いなんです。
フリースペースのような「たまり場」は、現在の社会、特に仙台のような都会を砂漠にたとえると、オアシスのようなものだと思うのです。
よそで何かつらいことがあっても、そこで一休みして元気を取り戻せるところ。そういった「たまり場」が、少しずつ増えて広がっていって欲しいというのが、私の願いなんです。
○ 自分の人生を投げる者はいない。−逃げることも大事。
これまで、お母さんたちの、「(お子さんが)自分の将来のことを、ほんとに考えてるのかしら…」といった話を聞いたことがよくありました。確かに、お母さんの目に映った彼らの姿には、そう思わせるものがあったのかもしれません。
でも私が、不登校にせよひきこもりにせよ、そういった事例に接する時、信じていることが一つあります。それは、「自分の人生を投げる者はいない」ということです。
どんなに投げやりに見えても、どんなに自分の将来を考えていないように見えても、たった一度きりの自分の人生を、自分で投げるわけがないじゃありませんか。
そう見えるのは、そうせざるを得ない理由が、必ずあるはずなんです。自分の力じゃ、もうどうすることもできないから、そうしてるのだと思うのです。そうすることによって、他には代えられない、何か大切なものを守ろうとしているのかもしれません。
だから私は、「逃避」という言葉があまり好きではありません。逃げることも人間の立派な能力です。逃げちゃいけないことくらい、承知してると思います。分かっていながらも、逃げざるを得ないほどの苦しい気持ちを、受けとめて欲しいのだと思います。
むしろ、いざという時に逃げる場所があることの方が、大事だと思います。
○ 水は高い方から低い方へ流れる。−人間は弱くていい。
水は高い方から低い方へ流れるというのは、重力がある地球ではどこへ行っても同じ、人間の力では変えることのできない性質ですよね。私は、人間の心にもこのような自然の性質があると思うのです。
ところが今の社会では、「…しちゃいけない」とか「…しなければいけない」「…すべきだ」というように、「上へ流れろ、上へ流れろ」と無理を言ってることが多いような気がするのです。でも人間は、もともとそんなに、強く立派な生き物じゃないんじゃないかなと思うのです。
弱くていいんじゃないでしょうか?だからこそ、お互い支え合っていけるわけですから。
「上へ上へ」と言われているうちは、ため息ばかり出ますけど、楽な方へ流れるだけ流れて、ひと休みすれば、少しは元気も出ますよね。十分休んで、エネルギーをためて、そこからまたスタートすればいいわけですから。
○ 社会の味方?子ども(人間)の味方?−子ども(人間)に優しい社会を。
かつて、学校に行ってない子どものことを、「学校不適応」と形容したことがありました。最近ではあまり聞かなくなりましたけど、学校や社会の物差しで子どもや人間を計ろうという傾向は、まだまだ根強いようです。
でも不思議だと思いませんか?なぜ、学校(社会)が、子ども(人間)に不適応と言わないのでしょうか。
たしかに、どんなにきれいごと言っても、この社会で生きている以上、社会に適応していかなければ生活できないというのも一理あるでしょう。
でも、今子どもや青年が、ひきこもり、就職拒否、不登校、中退など、さまざまな形で自分たちの身をもって示してくれているのは、「こんな社会じゃ、人間として生きていけないし、成長していけないよ」というメッセージなのだと思います。
「僕(私)と一緒に、人間らしく生きるってことを、もう一度考え直そうよ」という問いかけなんだと思います。不適応なのでなく、人間としての正常反応なのだと思います。
最近地球環境問題が叫ばれ、「地球に優しく」がはやり文句ですが、この社会を、もっと子ども(人間)に優しいものにしませんか?彼らのメッセージの中にそのヒントがあるはずです。
○ 「いっぽいっぽ」−一つの「一歩」は、次の「一歩」を生み出す。
どんなに長い道のりも、どんなに高い山に登るのも、一歩一歩の積み重ねです。「犬も歩けば棒にあたる」と言いますから、人間だって歩き出せば、必ず何かにめぐりあうはずです。
そして、一つの「一歩」は、間違いなくその人を成長させ、必ず次の「一歩」を生み出すと思います。
子どもや青年に限らず、この活動に関わるすべての人、そしてこのフリースペースが、一歩一歩前に進んで行って欲しいという願いを込めて、フリースペース、会、そして発行する会報の名前を、『いっぽいっぽ』にしました。
○ 泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑う。−自分の気持ちに素直に。
最後に、フリースペースも含めて、私の人生のモットーは、「泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑いたい。」なんです。
自分の気持ちに素直になることは、人が生きていく上で、もっとも尊いものの一つだと思ってるんです。自分に嘘をつくのは、本当につらいことですから。
でも、そうせざるを得ないときもあります。
これは、かつてある女子少年院を見学した時の話です。少年院ですから、私もある程度身構えて出かけていったのですが、驚いたことに、我々来客にお茶を出してくれた子たちは、娑婆(しゃば)の子たちに負けないほど表情も明るくて、素直なんです。
所員の話では、そんな彼女たちも、「もう二度と来ない」と誓って出所しても、かつてのしがらみが待ちかまえていて、ひと月もたたないうちに、また捕まって戻ってくることもあるそうです。皮肉な話ですが、娑婆よりそういった場所の方が素直になれたんですね。
自分の気持ちに素直に生きるというのは難しいことです。特に今の社会では。
でも、この活動を通して、自分の気持ちに素直になれる空間・場所を少しずつ増やしていきたいというのが、私の一番の願いなんです。誰だって心の底では素直になりたいと思っているはずですから…。
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「カウンセリングマインド」
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この文章はもともと、『いっぽいっぽQ&A』のページの、
Q 04 『「カウンセリング」という言葉はよく聞きますが、「カウンセリングマインド」という言葉は聞き慣れません。どういう意味の言葉ですか?また、「カウンセリング」との違いは?』
という質問に対する回答として、私(代表 橋)より適任と考え、スタッフの鹿股さんに依頼したものです。
ところが、いただいたお答え(文章)があまりに素晴らしく、フリースペースいっぽいっぽの活動のバックボーンとなる考えが、あますことなく、しかも具体的に述べられていますので、このページに使わせていただくことにしました。ぜひお読み下さい。
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カウンセリングマインド
フリースペースいっぽいっぽ スタッフ 鹿股 英生
フリースペース「いっぽいっぽ」は、お陰様で今年5月に7周年を迎えることが出来ました。
この7年間、我々スタッフやボランティアがこころざして来たことは、来られる方々に居心地のいい空間を提供することと、ここを足がかりとして新たな世界へ飛躍されていけるよう、そのお手伝いをしていこうということでした。
その為にはバックボーンとなる思想といいますか、基本的な姿勢が必要だと考えました。それをどう考えていったらいいのか、その話し合いを続けていく内に帰結していったのが、「カウンセリングマインド」ということです。
ただこれまでに、このことについての共通認識はできてきたとは思いますが、はっきりした形の明文化されたものは無かったように思います。
話し合いだけでは、その場では分かったつもりでも主観的な捉え方になっている場合もありますし、後日再確認しづらいということもあります。
そんなことを考え7周年というこの機会に、「カウンセリングマインド」についてまとめてみようと考えました。
いやそればかりではありません。読んでいただければ分かると思いますが、「カウンセリングマインド」は、フリースペースのような所だけに通用するものではなく、我々の普段の生活に生かされて然るべきものと、私は考えています。
そしてより多くの人に、このこころをご理解をしていただければと思っています。
唯、次にまとめます見方、考え方はあくまでも私見ですので、偏見や思い違いなど多々あるかも知れません。ご教授、ご意見などお寄せいただければと思います。
○カウンセリングとは
「カウンセリングマインド」を直訳すれば、「カウンセリングのこころ」となるのでしょうが、最近、カウンセリングという言葉の意味がどうも広範囲に使われ、どんな意味合いで使われているのかをはっきりさせないと、誤解を招きかねないと思われますので、ここで、我々の考えているカウンセリングそのものについて、はっきりさせておきたいと思います。
子育ての場合を考えてみましょう。
子どもが盗みを働いたり、間違いを起こしたとき或る親は、もう二度とこんな事は起こさないようにと、きつく叱りつけます。
親自体が恥をかかされたという、腹立ちがあってのことかも知れませんが、その心底には、子どもは放置しておけばどんな悪さをするか分からない、曲がった方へ行かないように、きつく指示、叱責して育てていく必要がある、という考えがあってのことなのだと思います。
そう考えるのは、人間というものは信用できないものだ、もともとは皆狡さを持ち人を騙そうとか盗みをしかねないものだ、という思いがあってのことなのでしょう。
最近のニュースを賑わしている、汚職、偽装、殺人などの暗い話題続きでは、致し方ないことかも知れませんが、はたして人間は性悪な存在なのでしょうか。
我々がこのフリースペースで、不登校やひきこもりで苦しみ悩んでいる方々のお力になれれば、と思って日々活動を続けているのは、彼らを信じているからです。
彼らには、現状打破をして前進できる能力が備わっていると、信じているからなのです。
唯、今の彼らにはその方法が掴めていない、模索は続けているが、その出口が見つかっていないのだろうと考えます。
すなわち、彼らには自分を向上させよう、良くなっていこうという気持ちはもともと備わっているものとの前提で、彼らと付き合っていくべきであり、お説教をしたり枠にはめ込むような教示・教育は、適当ではないと考えます。
人間は基本的に、自分を成長させよう、良くなっていこうと思っている存在である。
だがしかし、彼らはそれに気がついていない、或いはその方法を知らないと考えると、そこに気付かせてくれる人、サポートしてくれる人が必要になります。
それがカウンセラーや相談員であり、その方法のひとつがカウンセリングだと考えます。
○カウンセリングマインド
カウンセリングを上記のように捉えると、この考え方は単にカウンセリングの場だけのものではなく、子育てや教育全般にも通用する考え方だといえます。教育即ちEducateという言葉には、もともと「引き出す」という意味を持っていたそうです。
勉強したいという気持ち、良い成績を取りたいという気持ち、難しい問題にチャレンジしようという気持ちがあるものと考えると、それが素直に出てくるように見守る事が親や教師の仕事であって、「勉強しなさい」、「早くしなさい」と声を荒げる必要はない筈です。
カウンセリングはこのように、人間を人間としてみる、大切な存在としてみる人生哲学的な考え方だといえますが、実際にカウンセリングそのものは、誰にでもできるというものではありません。
相手の話の中から、その方が何を訴えようとしているのか、何を感じているのか、どうしていきたいと思っているのか等、彼の発する全てを受け止め、そして受け入れていくという仕事には、長期間の研修と経験が必要です。更に自身の感性を研ぎ澄ましていく努力も続けなければなりません。
でも、このカウンセリングの心を持ち続けることは、いつでも誰にでも出来ることです。
そのこころを持って相手を見れば、いま閉じこもっていても、自力で彼が動き出すまで待つことも出来ます。
無理に学校に引っ張って行こうとしたり、「何とかしなさい」と声荒々しくせかせて、その子を更に窮地に追いやり、状況を更に悪化させることも防げます。
伸びようとする気持ちを信じ、暖かく見守っていくとそのこころは、子どもに伝わっていくものです。暖かく見守られているということは、自分を信じてもらえているという意識に繋がり、それがその子の、生きていこうとする意欲を喚起していきます。
子どもがやる気を出せないのは、自分が親や先生などから信じてもらえていない、という時のようです。親から信じてもらえないことは、子どもにとってとても悲しく寂しいことです。
思春期以前の子どもが、辛いことや困難なことにチャレンジ出来るのは、大好きなお父さんお母さんに喜んでもらえるからです。
少々饒舌になってしまったようですが、このような気持ちで人と接していくことを「カウンセリングマインドでの対応」といえるのではないでしょうか。
フリースペースのような場所での具体的な対応としては、次のような事が考えられます。
| イ) |
このスペースを利用される方の気持ちを尊重し、余計な助言、忠告などは控える。 |
| ロ) |
その方が話されているとき、話の筋書きだけに囚われずに、どんな気持ちで話しているのかを聴きとれるように耳を傾ける。 |
| ハ) |
その方が黙ったままでいるときは、無理に話しかけることはせずに、いつでも話しかけられた時には適切な対応が出来るよう、ゆったりと待てる心の余裕が欲しい。 |
| ニ) |
「早く何とかしてあげたい」という気持ちは大切だが、その方を知らなければ何も進まない。知ること、知ろうと努力することがより大切。 |
| ホ) |
毎月のミーティング(学習会)に留まらず、常に学ぶ姿勢はそれとなく相手に伝わるもの。日々の研鑽を。 |
思いつくままに書き進めて見ました。ご意見お寄せいただければと思います。
(08.5.27)
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